母が亡くなりました。お疲れ様、お母さん(;_;)
前回の記事の後、数日で母の容態は再度悪化。
8月まで生きれるかな・・・という状態でしたが、
意識もあり、少しずつですがフルーツを口にしていました。
ですが、8/2の夜から意識を失い、8/3午前中に息を引き取りました。
病院に泊まり込んでいた父から8/3朝に連絡が来て、
すぐに病院へ向かいました。
息を引き取る前から、母の手首で母の脈を感じているようにしました。
口を開けて、一生懸命呼吸していました。
最後の一呼吸は喉を少し鳴らしました。
今までこんな音しなかったな・・・と思ったら
手首から脈が感じられなくなって、
口は開いているけど呼吸は止まっていました。
少しして看護師さんがやってきて、心臓が止まっていると言い、
数十分して先生が来て、死亡確認となりました。
8/2に病室を出る時、母は寝ているようでした。
でも、私が最後に見た後、意識を取り戻すことはなかったようなので、
その前に話したのが最後の会話だったんだなぁと思います。
何話したかなぁ・・・。
最後はわからないなぁ・・・。
横になる?起きる?みたいなことばかり話してたけど、
その辺が最後だったのかなぁ・・・。
あ。最後の会話じゃないけど、
8/2に母が通っていた習い事の先生が見舞いに来るって話で
結構パワフルな方だから、長く話すのは厳しいって言ってて。
そうだなー・・・もうさ!寝たふりしてようよ!って言ったら
フフって笑ったんだよなぁ・・・。
あれは最後の笑顔かなぁ・・・。
最後に食べたのは母が食べたいと言って、
私が買っていったメロンとリンゴ。
少しずつだけど頑張って食べてました。
ただ・・・気になることがあって・・・。
死亡診断書には死因が肺ガンとなっていましたが、
私は薬剤性間質性肺炎じゃないのー?って思うんだけど
こういうものですかね・・・。
他の欄に間質性肺炎と入っていましたけど。
(死に影響を及ぼした~みたいな欄)
死亡確認に来たのも、主治医ではありませんでした。
単純に忙しかったんだと思いますが、
「最善の治療薬です」と言って渡した薬で
1ヶ月ちょっとで患者が死んでしまって、
多少の気まずさもあったのかなとも思いました。
父は文句の一つでも言ってやりたいという感じでしたが、
副作用が出るかどうかは薬を飲んでみないとわからないし、
リスクは聞いていたわけで、もう仕方ないよと。
何はともあれ・・・先日、葬儀も無事に終わりました。
そして、今は自宅へ戻っています。
まだ手続き残っているので、再度実家へ行きますが、
自宅でも片付け等やることがあるので、一時帰宅です。
お母さん。
治療していた2年弱は苦しかったり痛かったりツラかったね。
不要な延命治療は残される側のエゴだとお母さんは言ったよね。
私達の想いで、無理させたかもしれないけど、
最期は意識もなくて、苦しまずに逝けたかな・・・と思っています。
家で探し物してて、お父さんはどこにあるか知らんと言ってて
私が「おかーさん!どこにあるのー!」って言うと
しばらくすると見つかるんだよね。
お母さんが来てくれてるんだと思っています。
お父さんは相当落ち込んでいるけど、頑張って笑顔でいます。
私のことはいいので、お父さんのそばにいてあげてください。
毎日毎日遺影の横で寝てるから、たまには夢に出てあげて下さい。
ありがとうお母さん。
お疲れ様お母さん。
私もいずれそちらへ行くので、その時はよろしくね!